続々

僕が中学生の頃から魂を揺さぶられ続けていたバンドがいくつかあって、そのフロントマンたちが最近続々とソロ活動の開始を表明している。その詳細情報が徐々に明らかになってきた。


甲本ヒロト

遂に 甲本ヒロト 初のソロ作品RELEASE!

 『真夏のストレート / 天国うまれ』   
 2006.7.5 in store!!

2曲のうちの後者は先日の三谷幸喜の映画で使われたのだったかな。ちょっとよくは覚えていない。ともかく、この「いかにもヒロト」なタイトルが嬉しい。


浅井健一

浅井健一ソロプロジェクト始動!

FIRST SINGLE「危険すぎる」
2006.7.12 RELEASE BVCR-19074 \1,260(TAX IN)

リードトラック「危険すぎる」参加ミュージシャン
Bass:照井利幸
Drums:茂木欣一 (東京スカパラダイスオーケストラフィッシュマンズ)
Chorus:椎名林檎 (東京事変)

Bass:照井利幸」!!!

ベンジーのギター・ヴォーカルと照ちゃんのベース。久しぶりだなあ。嬉しい。ドラムが茂木さんというのも新鮮だけど、どうせなら中村達也ならよかったのに。でもそれじゃあBLANKEY JET CITY再結成になっちゃうか。はっは。

それにしても、この『危険すぎる』ってタイトルがヤバイ。なんだよ、それ。鳥肌立ちまくりじゃあないか。ゾクゾク。

嫌煙について

僕は喫煙者だ。といってもヘヴィー・スモーカーというのではなく、おおよそ3日で2箱といったところ。四六時中スパスパしているわけではないけれど、ひと仕事終えた後だとか、食事をした後だとかに吸うタバコはやはり好きだ。

先日近所のコンビニでちょっとした買い物をした時、ふとレジのところを見ると「タバコのカートン買い、予約受け付けます」との小さなチラシが。なるほど、7月からのタバコ値上げに向けてということか。

1本あたり1円の増税。1箱あたり20円の値上げということになる。ある有名ブランドはドサクサに紛れて30円の値上げをするようだが、僕の銘柄は270円が290円だ。まだ安価なほうだと言えるかもしれない。

一部の喫煙者のマナーの悪さについてはわざわざ書くべきことでもないと思うが(僕だって怒りを感じている)、増税に対する声にはちょっと疑問を感じるものがあり、書いておきたいことがある。

多くの非喫煙者は、タバコ税増税に対して「自分は吸わないし、迷惑を掛けられることもあるし、いいんじゃないの?」という程度の姿勢であるように思う。どうなのだろうか、その「増税」を考えるにあたっての感情的すぎる姿勢は。

「タバコを吸わないから関係ない」ということは無い。増税というのは国民全体に対して行われるものだ。どのような種の増税であれ、「関係ないから」と軽々しく思考を放棄することがあってはならないと思う。

「マナーの問題」とか「健康の問題」というのは増税とは切り離して考えるべきだ。逆に言えば、マナーだとか健康だとかの問題を税の負担によって管理する、という状況の危険さを冷静に考えてみるべきだ。ネット上に限っても、大きな嫌煙運動の多くはそれが全くできていないように見える。なるほど、「嫌煙ファシズム」という用語も生まれるわけだ。

つぶやき

●『君が代』について18日のエントリで記述したが、そこで言及した「替え歌」について産経新聞が報じているのを発見した。もっとも、以前に書いた僕の考えは、産経新聞の姿勢とはまた大きく異なっていると感じるが。

卒業式、入学式での国歌斉唱が浸透するなか、「君が代」の替え歌がインターネット上などで流布されている。「従軍慰安婦」や「戦後補償裁判」などをモチーフにした内容だが、本来の歌詞とそっくり同じ発音に聞こえる英語の歌詞になっているのが特徴で、はた目には正しく歌っているかどうか見分けがつきにくい。既に国旗掲揚や国歌斉唱に反対するグループの間で、新手のサボタージュの手段として広がっているようだ。

http://www.sankei.co.jp/news/060529/sha009.htm

かなり昔からこの「替え歌」はあったように記憶するが、このように「大手」メディアが報じるのを目にしたのは初めてである気がする。

皇室に対する敬慕とはかけ離れた内容で、「国家は殺人を強いるものだと伝えるための歌」と解説したホームページもあった。

この記事の末尾の一文(一見、客観的事実を淡々と書いているかのようだ)が産経新聞の姿勢をよく表していると感じるが、他のメディアが報じるのも見てみたい。例によって、「言葉の力を信じている」という大手新聞社の報道とは、興味深い比較ができそうだ。

僕は野球ファンだ

あえて今日書いてやろう、と思う*1

僕は巨人ファンで、それも物心ついたときからずっとファンなのである。巨人というのはファンも多いが、逆に言えばファンでない人間は全てアンチ、と言っていいような球団である。僕自身も、巨人ファンであることを明かすと、同意してくれる人も多いが、人格を否定されるが如くボロクソに言われることも多い。

巨人が嫌いならそれでいいのだが、「何故嫌いか」を説明されるとちょっと困る。大抵「金でいい選手ばかり引き抜いてきやがって」みたいなことを言われるのだが、はっきり言って、僕だってそれは苦々しく思っていたのだ。悪いけど僕はナベツネは大嫌いだし、長嶋さんも、選手としては好きだしキャラクターも好きだけど、監督としては大嫌いだったのだ*2。多くの巨人ファンは恐らく皆あの状況を苦々しく思っていただろうと思う。盲目的に巨人ならなんでも賛美するのは、どこかの日本語の使い方のおかしいアナウンサーのような人だけだ。あのよく泣く人ね。

というわけで、僕はしばらくの間、巨人ファンをやめていた。だけど原が戻ってきたからには応援しなくてはならない。僕は幼かりし頃、近所にあった多摩川グラウンドの練習を見に行ったことがある。当時の4番だった原がとても優しく接してくれた。その時から僕は原の大ファンなのだ。あのチャンスに弱く、情にも弱い4番が、僕は大好きだった。

監督としての原も大好きだ。厳しいが、頑張っている選手のことはきちんと見ている。無名の若手だろうと、力をつければきちんと起用する。巨人の誇りを持ち、しかし謙虚さを忘れない。本来巨人はそうあるべきだと僕が思う姿勢を実践している。矢野、亀井、川中、鈴木といった生え抜きの野手陣も頭角を表し始めている。若手の育成に定評のある原監督のチーム作りだ。

この調子で生え抜きのチームを作り、「〜〜だから」などという「嫌いな理由」を無くして欲しい。もちろん、巨人を嫌いな人が好きになる必要なんて無い。「嫌いだから嫌いなんだ」でいいのだ。「俺は阪神ファンだから巨人が嫌いだ」と言ってくれたほうがよっぽど気持ちがいい。今季は阪神・巨人が優勝を争いそうな雰囲気だ。「伝統の一戦」が「伝統の一戦」らしくなってきそうだ。

もっとも、僕は阪神が嫌いなわけではない。金本も赤星も大好きだし、好プレーには拍手を送りたい。だって野球というスポーツが大好きなのだ。だからいい選手はやはり好きだ。そういう「野球そのものを楽しむ」という楽しみ方ができる人が多ければいいのだけど、とちょっと思う。正直言って、特定のチームのファンである人は多いけど、野球のファンであるという人は少ないなあと、特に関西に来て強く思う。それはそれでいいのだけど、ちょっと寂しい。

僕は野球が好きだ。

(追記)
しかし、さすがに4試合も連続でこんなのを見せられると凹む。今江っていいバッターだなあ、くそ…。

*1:今期初めて巨人が首位を阪神に明け渡した

*2:客寄せパンダのように使われているのは本当に気の毒だけど

ラーメンが好きだ

ラーメンが大好きだ。

こんな風に特に主張せずとも、そんな人はたくさんいると思う。確かに珍しくもなんともない。友人に「毎日3食がラーメンでも構わない」という男がいる。「三度の飯よりラーメンが好き」というか、「三度の飯がラーメン」。店員割引で食える、というだけの理由で、某有名ラーメン店でアルバイトをしているほどだ。

それほどではないにせよ、僕も相当のラーメン好きだ。

この春に京都に越してきたのだが、特に僕の暮らしている界隈というのは、近年ラーメン激戦区として有名になっているらしい。なるほど、暮らしてみてよくわかる。たとえば夜中の12時に突如ラーメンが食いたくなったとして(あるある)、自転車を軽くこいで行ける範囲にそれなりのラーメン店が5軒以上は軽くあるのだ。

ラーメン好きとしては嬉しい限りだが、しかし恐ろしい。なにせ下宿の学生の身分、そうそうメシにお金をかけられないのだ。相場から言っても、ラーメン一杯で600円は軽い。少なくとも僕の定めている2食分の予算を使ってしまうことになる。

それに加えて、男一人だとどうしても食生活が乱れがちで、しかも僕は酒好きでもあるのだ。もともと全然太らない「ヤセの大食い」体質だったのだが、最近心なしかヤバくなってきたような気がする。生活必需品以外はなかなか買わないから、無くても特に困らない体重計というものが家に無いのも問題である。現に先日実家に帰ったら、母親に「あんた太った?」とスルドク指摘された*1

前置きはいい。ともかく、そんなことには留意しつつ、それでもラーメン屋を巡るのだ。ちゃんと「基本的には土・日・祝日しかラーメン屋に行かない」という決まりも作ったのだ。行動範囲に「行ったことが無いラーメン屋がある」ということ自体が気に食わないのだ。

2ヶ月かけてそこそこの数のラーメン屋を回った。ラーメンをきっかけに、街に馴染むことができ始めているような気がする。美味いラーメンを食べて満足した後に、会計を済ませ、「ごちそうさん」と言って店を出るとき、気難しそうな店主のオッサンが「おおきに」と笑顔を見せてくれたりするたびに、また少しこの街が好きになるのだ。


今日は本分たる勉強をちょっと頑張ったし、自炊をサボってもいいだろう。そういえば昼飯を食べるのも忘れていたし、さあ、晩飯はラーメンを食べに行こう。*2

*1:と言っても、170台後半で60キロ台ですよ。デブ呼ばわりは無いだろうっての

*2:今日は平日だ? 昨日・一昨日の土日は食べてないからいいのだ。そうなのだ

日の丸・君が代

僕の政治的立場はさておくとして、一つの曲として聴けば『君が代』はとてもいい曲だし、一つのデザインとして「日の丸」は素晴らしいと思う(この記事のカテゴリに注目してほしい)。

先日そのような話を友人としていて、友人から「君が代ってもともと恋の歌なんだよね」という話を聞いた。恥ずかしながら、その話は全く聞いたことが無かった。なるほど、確かにそのようにも読める。

君が代
千代に八千代に
さざれ石の
いわおとなりて
こけのむすまで

恋の歌として見れば、とてもとても熱烈な詞であると感じる――多少品が無いようにも思うが。しかし恋、特にこのように一方的に思いを寄せる恋などは、上品ぶってなどいられないような気持ちになるものだ。それはそれでいいのかもしれない。

色々と調べてみたが、諸説存在する中に、確かにもともとは恋の歌であるとするものがある。Wikipediaによくまとめられている。なかなか興味深い。ところでこれが「三十一文字」であること(字余りはあるが)にも僕は今まで気付いていなかった。お恥ずかしい。

ちなみに僕の場合、小学校の音楽の教科書の最後に『君が代』が掲載されていた記憶がある。低学年の頃などは、タイトルが『きみがよ』のように平仮名で書かれているため逆に意味がわからず、「君がヨォー」という実に粗野な言い回しであると受け取っていた。それが「国のうた」であるらしいということが疑問でならなかった。本当の話だ。我がことながら、子供は本当に突飛なことを考えるものだ。

メロディについても「暗い」という意見があるが、僕はわりと好きだ。他国の国歌などは基本的に軽快なメロディに乗ったものが多い。場合によっては過激ですらある*1。しかし「勇壮」な歌はよく聞くが、「荘厳」な感じの歌というのはあまり聞かない。個性があっていいじゃないか、と思うのだが、これは軽薄な意見と取られるのだろうか。こういう一面を見ることは必要だと思うのだが。


「日の丸」について。こちらはさらに起源が曖昧であるようだが、かなり昔から使われていたようだ(こちらもWikipediaなどを参考にした)。確かに聖徳太子が隋の煬帝に送った手紙(「日出処…云々」)にも、既にその片鱗が感じられる。

小さい頃、世界地図の横についている「世界の国旗」を飽きもせず色々見ていた記憶があるが、日本ほどシンプルで力強いデザインは見当たらなかった*2。ずいぶん自己主張が強いデザインであるような気もするが、しかしすっきりしていていいデザインだと思うのだ。デザインとして、ね。


政治的問題としての、所謂"ひのきみ"問題について、きちんとした知識のもとに意見を持つことは大切だ。しかし、問題は曲・デザインそのものではなく、遥か昔から存在していたそれらを「誰が・どのように利用してきたか(そして現在しているか)」だ。たとえば「国旗・国歌法」に反対する立場は非常によく理解できる(僕も大別すればそちらに含まれる)のだが、そのあまりに「曲・デザインそのもの」をヒステリックに憎んだり軽視したりする態度は、文化に対する軽視であると思う。「君が代を英語で歌おう」などというのも*3、ジョークとしては面白いと思うが、真面目に政治的な意味を込めるような価値のあるものではない。

単純な「反体制」はどうも古臭いと思う。「『奴ら』に反対!」だけを叫んで、「『私』はこうしたい!」を叫ばない人たちが多いうちは、問題は解決しないだろう。僕がどうしたいのかは、読めばわかってもらえるように書いたつもりなのだが、はてさて。


もうすぐサッカー・ワールドカップが開幕する。『君が代』が何度も流れることになるだろう(4度以上であることを願う)。何らの裏の意味も無い「ただの感想」だが、昔テレビで見た日本代表の試合で、君が代を歌いながら胸に手を当てる当時の代表だったカズ(三浦知良)の姿は、ものすごくカッコよかった。

それから、物議を醸した忌野清志郎のパンク版『君が代』(『冬の十字架』収録)も好きだ。

*1:余談だが、フランス国歌『ラ・マルセイエーズ』なんてフランス革命義勇軍の歌だ

*2:類似したデザインとしてはバングラデシュパラオのものがある。前者についての日本との関係はよくわからなかったが、12年前に独立した後者が日本に倣っているのは確からし

*3:♪kiss me girl your...という歌詞を歌うと、「空耳アワー」よろしく「きみがよは…」と聞こえるというもの。そこには当時の日本のファシズムに対する皮肉が込められている(らしい)

星降る夜に

星降る夜に

星降る夜に

東京スカパラダイスオーケストラの2006年「歌モノ」3部作*1の第3作、『星降る夜に』。ゲスト・ヴォーカルは僕が大好きな甲本ヒロトだ。THE HIGH-LOWS活動停止後は新しいヒロトの歌声が聴けずに寂しい思いをしていたのだ。このニュースには飛び上がって喜んだ(甲本ヒロトソロ作品リリースの報せも届いた。もちろん、めちゃくちゃに嬉しい)。

現在、yahoo!動画にてこの楽曲のPVがフルで視聴できる(5/28まで)。スカパラと揃いのスーツに身を包みながらも、いつも通りのやんちゃなパフォーマンスを見せてくれるヒロトの姿がうれしい。20年も昔の、THE BLUE HEARTSの初期のころの映像と比べても、全く変わらない気持ちを感じる。スカパラのメンバーが奏でる軽快なメロディーに乗って、ヒロトの優しい歌声に乗って、まるで星空を旅しているような気分になる。

ヒロトはかつて「僕、パンク・ロックが好きだ、優しいから好きなんだ」と歌っていた。パンクのリズムであろうとスカのリズムであろうと、この人はいつも優しい気持ちで歌っていると感じる。それが一番わかりやすい形で表現されている。

音楽のジャンルじゃない。「ロック」とは何かと言われれば、例えばそんな歌い方を「ロック」というのだと、僕は思う。

*1:スカパラは、基本的にはヴォーカル無しのインストゥルメンタル楽曲を発表する。特別ゲストとして様々なヴォーカリストを招くことがある