好きなことを

はてなアンテナ」というツール。わざわざブログの横っちょで公開するからにはそうするだけの意味を持たせたいと思う。当ブログ横っちょのアンテナには、僕が大変興味を持って日々覗かせていただいているサイトが登録されている。そんなのは普通に公開されているアンテナと変わらんじゃないかと言われるかもしれないが、ちょっとした意識のもとに登録している。

その意識というのは、つまり「自信を持ってご紹介しますよ」ということだ。とりあえず興味のあるものをボコボコ登録して、なんとなくブログの脇に載せているというのではない。基本的に更新は全てチェックしているし、本当に「アンテナを張っている」のだ。

馬鹿みたいに当然のことのように思えるが、こういう意識って大切なのではないかと思う。少なくとも「私」としてのブログのためには大切なことだ。

ともかく、アンテナのサイトを巡ってみたならば僕の興味がある程度把握できると思う。というか、音楽も好きだ。映画も好きだ。文学も好きだ。漫画も好きだ。社会の様々な出来事にも興味がある。もうなんでもかんでも好きなのである。

もちろん、それらのジャンルの中には嫌いなものもたくさんある。だけど「嫌いなものを嫌いだと言う」暇があれば「好きなものを好きだと言う」ために使いたいと思う。そうしてこそ、逆に「どうしても看過できないもの」へ正当な批判を向けるための「信条」を育てることができるのではないかと思うのである。

何を書くか

今やネット上には様々な文章が氾濫していて、たとえば多岐にわたるジャンルにおいて深い素養を感じられる素晴らしいものもあれば、正視に耐えないようなくだらないものもある。およそありとあらゆるタイプの文章が既に存在する中で、わざわざ僕が「匿名で」何かを書くことに意味があるのか、と考える。

矛盾するようだが、「匿名でない」書き方にこそ意味があると思う。「匿名」とはなにも、本名を明らかにしないことを指すのではない。「私」を感じさせるという文脈があれば、そのような文章は「匿名でない」と言えるのではないか。文脈こそが僕の署名だ。逆に言えば、そうなり得る文脈を紡いでいくこと自体、ひとつの目的とすべきことであると思う。

多くの言説、特にネット上のそれを見ていると、「主観的」であることや「感情的」であることは正しくない態度であるとされているようだ。しかし、義務としての仕事などでなく一人の人間から発信される言葉にそれらが欠落していたなら、それはどのような意味を持ちうるのかがわからない。

僕は「主観的」に、「感情的」に書きたいと思う。理屈では説明できない自己の感情に誠実に立ち向かい、それを読み解き、表現することが、人間としての「知性」であると思うから。必要なのは主観だとか感情をを排除する姿勢ではなく、それらをいかに伝達するかなのだと思う。

最初だから真面目に書いてしまったけど、もっと肩の力を抜いた更新をしていく予定です。もう一つのテーマは(ネット上での)「私」と「世界」のコミットメント。読んでくださる方を楽しませる工夫をすることも楽しいことです。どうぞよろしく。