何を書くか

今やネット上には様々な文章が氾濫していて、たとえば多岐にわたるジャンルにおいて深い素養を感じられる素晴らしいものもあれば、正視に耐えないようなくだらないものもある。およそありとあらゆるタイプの文章が既に存在する中で、わざわざ僕が「匿名で」何かを書くことに意味があるのか、と考える。

矛盾するようだが、「匿名でない」書き方にこそ意味があると思う。「匿名」とはなにも、本名を明らかにしないことを指すのではない。「私」を感じさせるという文脈があれば、そのような文章は「匿名でない」と言えるのではないか。文脈こそが僕の署名だ。逆に言えば、そうなり得る文脈を紡いでいくこと自体、ひとつの目的とすべきことであると思う。

多くの言説、特にネット上のそれを見ていると、「主観的」であることや「感情的」であることは正しくない態度であるとされているようだ。しかし、義務としての仕事などでなく一人の人間から発信される言葉にそれらが欠落していたなら、それはどのような意味を持ちうるのかがわからない。

僕は「主観的」に、「感情的」に書きたいと思う。理屈では説明できない自己の感情に誠実に立ち向かい、それを読み解き、表現することが、人間としての「知性」であると思うから。必要なのは主観だとか感情をを排除する姿勢ではなく、それらをいかに伝達するかなのだと思う。

最初だから真面目に書いてしまったけど、もっと肩の力を抜いた更新をしていく予定です。もう一つのテーマは(ネット上での)「私」と「世界」のコミットメント。読んでくださる方を楽しませる工夫をすることも楽しいことです。どうぞよろしく。